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2024/12 老年精神医学雑誌Vol.35 No.12
老年精神医学における健康寿命延伸
中野倫仁
資生会千歳病院

初めての疾患修飾薬であるレカネマブの登場によって健康寿命の延伸 が期待されているが,行政サイドからは高齢者就労とセットにして考え るとの声が聞こえてくる.ここで健康寿命であるが,抽出調査である国 民生活基礎調査の健康票のなかの「あなたは現在,健康上の問題で日常 生活に何か影響がありますか」に「ない」と答えた人を健康と定義する 自己評価から計算される.男性72.7 年,女性75.4 年であるがあくまで 目安の数字である.

 少子化による労働人口の減少と就労継続による認知症リスクの低下の ため元気な高齢者が働くことはたいへん結構なことで,自分もそうあり たいと思ってきた.公務員の定年が順次65 歳まで延長されることにな り,政府も70 歳までの就労を推奨するなか,健康な生活が続くことを みな期待している.だが健康寿命の延伸の先がどうなるのかが不明瞭で ある.

 筆者がもの忘れ外来を始めたのは2000 年4 月であったが,その当時 の新患は50~60 歳代が主であった.2024 年現在は80~90 歳代が主で あり,2000 年当時健康であった人が現在患者となってきている.健康 寿命を超えた人がどのような人生を送るのかという問題は先送りされて きている.

 人間の歴史をみても,より多く生産できるものに価値をおくという 「生産力主義」を完全に捨てることはできないと思われる.他方,人間 を経済的価値で分類してはならないという思想は,宗教家に限定されず 多くの賛同を得ている.精神医学においてもナチスドイツの精神病者へ の迫害に対する痛切な反省がドイツ精神医学会から発表され,日本でも 2015 年の日本精神神経学会学術総会で移動展覧会として開催された. 筆者もその特別展をみて自分ならその当時,共犯者になることを拒否で きたかどうか自問自答した記憶がある.なぜこの問題を持ち出すのかと いうと,今の日本の社会では「生産力主義」の考え方が勢いを増し,高 齢者の弱点に対して寛容でない空気が強まっている印象をもつからであ る.農耕社会であったわが国では米や麦の脱穀が重労働であり,未亡人 や高齢者が貴重な労働力として存在意義を有していた.元禄年間に「千 歯扱き」という金属製の脱穀機が発明され,脱穀の能率の飛躍的向上が なされたため,労働機会が奪われ「後家倒し」とも呼ばれた歴史がある. 高齢者は現在の情報化社会についていくことが困難であると思われるた め,コンピューターやスマホが現代の「千歯扱き」になりかねないこと が危惧される.身体的欠陥をあげつらうような人物はその人格を疑われ ると思われるが,認知機能低下については健康な人の目はどちらかとい うと厳しい場合が多い.医療者といえども例外でない.加齢とともに増 加するのはがんも認知症も同じことであるが,後者だけ「しかたがな い」と言う医療者も多い.

 研修医のときに当時重要な基本書であったカール・ヤスパースの『精 神病理学原論』(1913 年)を読了し,指導医であった深津亮先生に少し 難しかったと報告すると,「この本は騙されたのではないかと思うほど 明晰な本である.精神科医なら何回読みましたと言うべき本であって, 今初めて読みましたなどと言ってはいけない」と言われた.そのため非 常に記憶に残っている本であるが,そのなかに「精神障害者も健康者と 同じくらい論理の間違いをする権利はあるのであって,この間違いをあ るものは病的な症状とし,あるものは正常とするのは正しくない」と あった.特別扱いしろと言っているのではなく,自分と同じ権利を認め ようという主張は卓見である.若い先生方にも一読を勧めたい.

 高齢者に限らず今をいかに生きるかという問題は宗教や哲学,文学な どで古くから論じられてきた.価値的側面が強い命題のため精神医学で は正面から扱うことを避けてきたと思うが,健康寿命を超え,働くこと ができなくなった人にとっては重要な問いである.患者さんに啓発され て他分野の名著といわれるものを勉強してみたがいまだ解答を得ない. それらの名著が書かれた時代は現在ほど長寿社会でなかったことが関係 しているかもしれない.筆者は職業を通じての自己実現という考え方で きたがいつまで続けられるかわからない.他分野に解答を求めるという 考えが後ろ向きかもしれないとも思う.やはり精神医学にもう一度真剣 に向き合う必要があるのだろう.

 特定の香りが記憶や感情を呼び起こす効果で知られるフランスの作家 マルセル・プルーストの言葉に,「本当の発見の旅とは,新しい景色を 探すことではない.新しい目で見ることなのだ」とある.健康寿命延伸 の向うにある事態に対する解決策を職能人としての精神科医が「新しい 目」を使って探求することが必要であり,われわれの一層の精進が求め られている.



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2024/11 老年精神医学雑誌Vol.35 No.11
認知症と「ネットワーク」
玉井 顯
医療法人敦賀温泉病院

 筆者の住む福井県敦賀市は古来より交通の要衝として栄えてきた歴史 ある町です.京の都へ通じる鯖街道,日本海では北前船がこの敦賀を拠 点とし,陸と海の交通のハブとして重要な役割を果たしてきました.さ らに,日本で初めて鉄道が敷かれた地のひとつでもあり,敦賀は3 大鉄 道のひとつとしてその名を馳せています.近代においても,北陸自動車 道敦賀インターチェンジは要であり,2024 年3 月16 日には北陸新幹線 が敦賀まで開通しました.この開通以降,シャッター通りにも新しいお 店が生まれ,駅前にはオシャレなホテルや飲食店が建ち並び,観光客も 増えて敦賀は再び賑わいをみせるようになりました.筆者はこの敦賀で, 歯科医で開業した父の時代からの多くの人的ネットワークを受け継ぎ, 子どものころから慣れ親しんだ地元で,1990 年4 月に敦賀温泉病院を 創設しました.

 地元で開業した目的は2 つありました.1 つは,だれでも気軽に相談 できる敷居の低い精神科病院にすること,もう1 つは,認知症の啓発で した.

 1 つ目として,精神科外来の敷居を低くするために,だれもが気軽に 外来を訪れられるように精神科だけではなく内科と歯科も設置しました. とくに内科とは連携を強化し,内科で通院している患者様でも気軽に精 神症状のことで相談できるよう,また精神科からは身体症状がある場合 はすべてが精神症状であるとは決めつけずに一人の患者様を脳と身体の 両面で診られるよう,W 主治医としています.これが幸いし,内科か らの学びも多くなり,自分で血液検査を説明したり,身体の画像所見を 説明できるようになりました.いわば二刀流,あるいは小規模多機能な らぬ一人多機能ともいうべきスタイルで現在診療を行っています.  2 つ目に関しては,創設当初は精神科の外来を訪れる患者様は少なく, 認知症といえば不治の病と位置づけされ,たとえ医療関係者であっても 関心は薄いものでした.当然,初診患者様は行動・心理症状(BPSD) の激しい重度の認知症で入院を求める方ばかりでした.そこでやはり啓 発が必要と考え,地元および近隣地域の老人会や婦人会,学校,公共機 関,町内会などたとえ少人数であっても出向き積極的に活動しました.

 啓発活動をするにつれ,軽度認知障害(MCI)で訪れる患者様が増え, BPSD が激しく重度で入院される患者様が減少しました.こうして,認 知症対策は町づくりであるという当初からの考えが確信に変わりました.

 認知症はいわば脳の中の神経ネットワークの障害といえます.このネ ットワークの障害に対応するには,われわれは,まず外部,周囲のネッ トワークを強化しなければなりません.患者様を取り巻く周囲の人たち が手を結ばなくてはいけないのです.人の絆,ネットワークづくりこそ が認知症の治療に通ずると思われるのです.社会の絆が薄れている今, 認知症というテーマ自体が絆の大切さを教えてくれているのかもしれま せん.

 筆者がかかわったネットワークづくりは,警察と市町,教習所とで高 齢者交通安全対策ネットワーク会議,教育委員会と市と一緒に映画を製 作,地元の銀行と市とで三者協定を結ぶなど,市町のなかでネットワー クづくりをしています.

 このように多様な人的ネットワークを発達させていくことにより,ま た交通網など物理的にネットワークの発達にも支えられ,地域社会にネ ットワークが張り巡らされ,認知症問題への対応がより高度なものにな るといえます.それはあたかも認知症患者の脳内神経ネットワークが増 えていくのにシンクロしているかのようです.筆者は敦賀の町づくりを 通じて,地域社会の活性化と個人の脳内の活性化とが現象的なアナロ ジーと相まって,互いに影響を及ぼしあい同期しているように思うに至 りました.町づくり,地域社会の活性化は個人の脳内の活性化と同期し ているようにさえ思えます.

 最後に,認知症の今後の課題について考えてみます.脳画像診断の進 歩,さまざまなバイオマーカーの開発,抗アミロイドβ 抗体薬の登場な ど,診断技術や薬物治療の開発が加速的に進歩してきました.一方,筆 者の2 つ目の目的である啓発ですが,2005 年から始まった「認知症サ ポーター養成講座」は,本人よりも周囲の人に対して認知症であること を理解していただくことや早期発見・対応・治療に重きをおいた内容で, まだこの変化には対応できていない活動です.こういった診断技術や疾 患修飾薬が登場した今,周囲が認知症の症状に気づき支援する前に,自 分自身で認知機能の評価ができるようなシステムも考えなくてはいけな くなりました.身体の健康診断と同様に頭の健康診断ができ,「周囲が 気づく認知症」から「自らわかる認知症」を目指さなくてはいけません. 不易流行,診断技術や治療の進歩など時代が変わろうとも,われわれの MCI から重度認知症までのフルステージの支援は変わりません.これか らも,認知症にやさしい町づくりを目指していきたいと思います.



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2024/10 老年精神医学雑誌Vol.35 No.10
認知症診療をめぐる変化と治療法の進歩
田中稔久
大阪けいさつ病院認知症センター

 昨年(2023年)にわが国の認知症にかかわる状況において,2つのトピックスがあった.1つは同年6月に「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(以下,基本法)が成立したことであり,もう1つはアミロイドβ をターゲットとする新しい治療薬が国内で承認され,同年12月に市場に登場したことである.

 認知症に関する国の施策は,2012年に行われた認知症患者数に関する調査により,わが国には462万人の認知症者がいるものと推定されたものの, 当時アミロイドβ をターゲットにした治療の臨床治験がことごとく失敗していたことから,認知症の人やその家族を地域で支える体制づくりを基本とすることとなっていた. 2012年に「認知症施策推進5か年計画」(オレンジプラン)が公表されたが,これは認知症の人の意思が尊重され, できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができるための指針とされた. 次に2015年に「認知症施策推進総合戦略~認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて~」(新オレンジプラン)が策定され, 早期診断・早期対応とともに医療・介護サービスが有機的に連携し,認知症の容態に応じて切れ目なく提供できる循環型のシステムを構築することが目標とされることになった. そして,2019年に「認知症施策推進大綱」が国の施策としてとりまとめられ,さらに2023年6月に「基本法」が成立した. 「基本法」は国会で成立した法律であるという重みがあると同時に,「認知症施策を総合的かつ計画的に推進し,もって認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し, 相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会(以下「共生社会」という)の実現を推進することを目的とする」(第一条より抜粋)とされている.そして, 「全ての認知症の人が,基本的人権を享有する個人として,自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができるようにすること」(第三条一項)とあることから, 認知症の人の人権を守ることを単なる努力義務ではなく(必須の)義務と規定していることは,今までの施策からさらに一歩進められている. この法律を背景に,認知症の人を守って「共生社会」を実現する施策が強力に推進されることが期待されている.

 そして一方,治療法に関しても新しいツールが登場した.アルツハイマー病の治療法開発に関しては,アミロイドβ の産生阻害といった観点から, さまざまなγ -セクレターゼ阻害剤,γ -セクレターゼ阻害剤の臨床治験が行われてきたが,2010年代にことごとく失敗に終わっていた. アミロイドβ を除去するという観点から,免疫療法も能動免疫を用いた第Ⅱ相臨床試験が開始されたが,2002年に中止されていた.しかし, 受動免疫に関する開発は着々と進められ,Bapineuzumab,Ponezumab,Solanezumabといった抗アミロイドβ 抗体の臨床治験も行われてきたが, これらの試みも失敗し,2017年までにこれらはすべて中止された.しかし,単なるアミロイドβ ペプチドに対する抗体ではなく, 病的なアミロイドβ に対する抗体を用いた受動免疫療法に関しては,有効性が示されるものが現れた. Aducanumabは認知症ではない高齢者の体内には抗アミロイドβ 抗体が潜在するのではないかという発想から単離されたモノクローナル抗体であり, 可溶性および不溶性のアミロイドβ 重合体に特異的に結合することが知られているが,この抗体は2021年に米国で迅速承認を受けた(わが国では保留). 家族性アルツハイマー病のひとつ,Arctic変異によるものでは脳内に多量のアミロイドβ プロトフィブリルが産生されるのだが, Lecanemabはこのプロトフィブリルを脳内から除去することができる.この抗体は2023年にわが国で承認され,市場に登場している. さらにアミロイドβ は老人斑のなかでピログルタミル化という変化を受けるが, これはアミロイドβ の3番目のグルタミン酸のカルボキシル基とアミノ基が分子内縮合反応を起こしてラクタム環を形成したものである. Donanemabはこのピログルタミル化したアミロイドβ を特異的に認識する抗体であり,2024年にわが国で承認を受けた.これらの遺伝学的, 生化学的研究の成果に基づく治療法開発の成功は喜ばしいことであるが,有効な抗体のターゲットはアミロイドβ の凝集体という特殊構造であることを考えると, 今後は分子レベルでの構造の解析が重要になると思われる. そういった意味で「クライオ電子顕微鏡」(2017年ノーベル化学賞)や「アルファフォールド2」(2024年ノーベル化学賞) といった先端技術が世の中に出てきていることには,いっそうの希望が感じられる.また,こういった流れにおいて,今まで認知症をめぐる環境は, 認知機能に対する対症療法薬は存在したものの抜本的な治療薬がなかったことから地域で支える仕組みが整備されてきたが, 新しい治療薬が次々と登場するなかでこれらを適切に組み入れる仕組みづくりが求められている.この仕組みづくりはまだ現在進行形ではあるが, よりよい「共生社会」の実現のために尽力していきたい.



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2024/9 老年精神医学雑誌Vol.35 No.9
認知症の人や家族へのインフォーマル・サポートを実働させるための仕組みづくり
山中克夫
筑波大学人間系

 認知症の人や家族が地域で暮らしやすくなるためには,認知症という疾患の理解のみならず,本人や家族の状況・心情を理解しながら支援する,いわゆるインフォーマル・サポートの担い手が必要である.国は認知症サポーターを全国で養成しており,厚生労働省2)によれば認知症サポーターは「認知症に対する正しい知識と理解を持ち、地域で認知症の人やその家族に対してできる範囲で手助けする」とされており,これはまさにインフォーマル・サポートの担い手に該当するものである.
 認知サポーターの数は2024年3月末時点で約1535万人に達している1).実際のサポート活動を考えると成人のサポーターが必要になるが,年代別でみると10代以下が最多の約436万人(全体の28%)であり,加えてより実践的な知識やスキルを修得するためのステップアップ講座の受講者数は2万人ほどで,これは認知症サポーター全体の約0.1%にすぎない.これらのことから,今までの認知症サポーターの養成は認知症の理解・啓発のための講習が主流となっており,その点では着実に実績を積んでいるが,サポートの実働という点では十分とはいえず,今後はそのための仕組みづくりが必要である.
 地域で仕組みづくりを行ううえで,筆者は,①「見える化」,②「拠点」,③「ごちゃまぜ」,④「ついでに」の4つが鍵となると考えている.
 まず1つ目の「見える化」は,養成講座で認知症の人や家族に対して日ごろ配慮すべき事柄を伝えていくだけではなく,認知症サポーターに参加してもらいたいボランティア活動をわかりやすく示すことである.目的意識をもって講義を受けてもらうためにも,受講者には前もって具体的な活動例(例:認知症カフェの実施を手伝う)を示したほうがよい.また,認知症の人が参加したくとも,ボランティア不足により活動が制限されていることも少なくないだろう.不足しているものを具体的に示せば,協力してくれるサポーターも現れると思われる.
 次の「拠点」とは,認知症サポーターがそこに集まれば活動の全体を把握でき,やりたいボランティアに参加できる,さらにサポーター同士の情報共有や交流ができる場所のことである.拠点があることで,サポーターも活動も定着していくだろう.そのような拠点に関して小規模なものであれば,地域密着型介護老人福祉施設に併設されている「地域交流スペース」を活用することが,費用面からも現実的と考えられる.著者が関東の地域交流スペース(以下,スペース)の活用について全数調査4)を行った際,スペースを十分活用していると回答した施設は12.9%であった.活用しきれていないスペースがこれほどあるならば,広さや構造,駐車台数などの条件で絞っても,地域で拠点として機能しうるスペースが見つかる可能性は十分にあると思われる.また,同調査では,通所サービスの部屋を認知症カフェの活動に休日利用してもらっている施設もあったが,介護事業所に限らず,地域内の施設の休日利用のあり方について検討していくことも重要であろう.
 3つ目の「ごちゃまぜ」は,対象が認知症に限らないさまざまなサポーターが同じ拠点に集まって活動する状態である.拠点や情報等を共有できる効率のよさに加えて,異なるサポーター同士でも協力しあえる利点がある.この点については,現在全国でさまざまな事例がみられるので,「ごちゃまぜ」と「ボランティア」で検索するとよい.
 4つ目の「ついでに」は,これは3つ目の「ごちゃまぜ」にも関連するが,ある活動のついでに別の活動に協力できる仕組みづくりである.たとえば,一般社団法人セーフティネットリンケージの「みまもりあいアプリ」3)(無料)は,もともとは認知症の人が徘徊などで行方不明になった場合にアプリで捜索を依頼し,近くのアプリ登録者が捜索を協力するというものであったが,子どもの迷子の捜索も対象とすることで子育て世代の登録を促し,子育て世代が子どもの捜索だけではなく,同時に認知症の人の捜索にも協力できる仕組みができている.
 今回,取り上げた4つの鍵(見える化,拠点,ごちゃまぜ,ついでに)を参考に,国や各地域で認知症の人や家族のためのインフォーマル・サポートの仕組みづくりが行われることを切に願う.

[文 献]
1)特定非営利活動法人地域共生政策自治体連携機構:認知症サポートキャラバン.Available at : https://www.caravanmate.com/result/
2)厚生労働省:認知症サポーター.Available at : https://www.mhlw.go.jp/stf/seisaku
nitsuite/bunya/0000089508.html
3)一般社団法人セーフティネットリンケージ:みまもりあいアプリ.Available at : https://mimamoriai.net
4)山中克夫, 小松崎麻緒, 登藤直弥, 野口 代ほか:地域密着型介護老人福祉施設における地域交流スペースの活用の実態.厚生の指標,68(3):10-17(2021).



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2024/8 老年精神医学雑誌Vol.35 No.8
老年精神医学の専門医が行う在宅医療
内田直樹
医療法人すずらん会たろうクリニック

 超高齢社会と多死社会の到来,住み慣れた場所で最後まで過ごしたいという社会のニーズ,治す医療から治し支える医療への転換などを背景に在宅医療が推進されている.在宅医療は,入院,外来に次ぐ第3の医療の選択肢ともいわれるが,在宅医療にかかわる精神科医は少なく在宅医療を受ける患者にとって精神科診療を受ける選択肢が限られているのが現状である.
 在宅医療の対象は「在宅で療養を行っている患者であって,疾病,傷病のために通院による療養が困難な者」と定義されていることもあり高齢者が多い.国のデータでも,在宅医療を受ける患者の約8割は75歳以上となっている.
 筆者は2015年から在宅医療に携わっている.当初は単に在宅医としてプライマリケアを行うつもりで働き始め,身体診察の学びを深めていた.しかし,実際に臨床を行ってみると老年精神医学の専門医としての役割が大きいことに気づき,この経験をもとに日本老年精神医学会で一般演題を発表し,「老年精神医学雑誌」に症例報告を投稿した4).この発表をきっかけに成本迅先生が当院へ見学にお越しくださり,このご縁をきっかけに出版を行うことができた5).
 地域において,いわゆる困難事例といわれる者の背景に認知症や精神疾患があることが多く,この困難事例への対応は認知症初期集中支援チームの重要な役割となっている1).一方で,在宅医療における精神科医の役割として,①通院困難な認知症患者および精神疾患患者の見立てを自宅で行うこと,②認知症の改善可能な部分を評価し働きかけ続けること,③認知症の行動・心理症状(BPSD)への対応をBPSDが起きている現場で行うこと,④良好な治療者患者関係の構築による治療の継続,⑤介護者のサポート,があると考えている.老年精神医学を専門とする医師が在宅医療にかかわることで困難事例への対応が可能となるだけではなく,事例が対応困難となる前の段階での介入が可能になる.とはいっても,本学会専門医の人数は限られており,対応可能な患者数にも限界がある.そこで,在宅医やプライマリケア医に,老年精神医学の基礎知識を身につけてもらう必要性も実感している.筆者が評議員を務める日本在宅医療連合学会では,学会内に精神科のワーキンググループをつくり精神科専門職が集い学びの機会を提供するという動きが出てきている.
 通院困難な患者のもとに訪問する意義の大きさを感じる一方で,在宅医療で担当する認知症患者の多くは中等度から重度に進行していることが多く,早期介入の必要性を感じるようになった.また,英国では認知症フレンドリーコミュニティと認知症アクションアライアンス(DAA)いう取組みがあることを知り,福岡市で同様の取組みができないかという思いを抱くようになった.九州アジア経営塾という企業のリーダー教育を行う場において,福岡版のDAAをつくりたいという話をした際に福岡市役所の認知症支援課の笠井課長(当時)と知り合い,その後さまざまな活動をご一緒するようになった.2018年2月には高島市長や当時の福岡市医師会長,認知症の人と家族の会福岡県支部の関係者とともに,認知症フレンドリーシティ宣言を行い,産学官民で認知症フレンドリーなサービスについて考える集まりである「福岡オレンジパートナーズ」や,認知症の人が働くことを支援する「オレンジ人材バンク」といった取組みを続けてきている2).
 また,当院は重度認知症デイケアを併設しているが,こちらでは認知症の進行した方々との集団精神療法を行っている3).コロナ禍で認知症高齢者の心身の機能低下が避けられなかったなかで始めた苦肉の策の取組みであったが,認知症が進行しても話したいことを自由に話せるようにする場づくりが一貫して続けられており,精神療法としての効果やコミュニティとしての成長も実感されるものとなっている.
 本学会の専門医となって10年が経ち,これまでの活動を振り返る巻頭言となった.本学会にかかわる先生方に,少しでも在宅医療に興味をもっていただけると幸いである.

[文 献]
1)粟田主一:認知症初期集中支援チームとは.老年精神医学雑誌,33(8):749-755(2022).
2)笠井浩一,内田直樹:「福岡市オレンジパートナーズ」と「オレンジ人材バンク」について.老年精神医学雑誌,34(7):601-607(2023).
3)勢島奏子,内田直樹:認知症の人たちと対話し続けること;重度認知症デイケアにおける集団精神療法の継続と新たな活動の広がり.老年精神医学雑誌,34(12) : 1218-1223(2023).
4)内田直樹,園田 薫,勢島奏子,浦島 創:在宅医療において精神科医の役割が重要であった3症例.老年精神医学雑誌,28(1):71-77(2017).
5)内田直樹(著),平原佐斗司(監):認知症の人に寄り添う在宅医療;精神科医による新たな取り組み.クリエイツかもがわ,京都(2018).



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2024/7 老年精神医学雑誌Vol.35 No.7
地域における大学病院精神科の臨床的役割について考える
沼田周助
徳島大学大学院医歯薬学研究部精神医学分野

 徳島県には,精神科を標榜する総合病院が徳島大学病院と徳島県立中央病院の2病院,単科の精神病院が15病院ある.厚生労働省の報告書によると,徳島県の人口10万対精神科病床は507.8床,精神病床平均在院日数は329.3日であり, ともに全国平均を上回っている(全国の人口10万対精神科病床は257.6床,精神病床平均在院日数は276.7日). 県指定の認知症疾患医療センターはすべて精神科で運営されており,徳島県立中央病院が「基幹型」,3つの精神病院が「地域型」である.
 私は,徳島県で約20年,主に大学病院で精神医療に従事しながら,大学病院に関係する複数の単科の民間の精神病院でパート医としても働いてきた. 私が前任の大森哲郎先生の教室に入局した当時は,徳島大学病院精神科病床は新築移転したばかりであり,次々と上市される新規の抗精神病薬や抗うつ薬をいち早く処方できた. 一方で,当時の単科の関連病院では,建物は古く,大部屋中心であり,定型抗精神病薬の多剤併用治療を受けている長期入院の統合失調症患者が多くいた. それから20年の時を経て,大学病院はその後の改築はなく建物は古くなった一方,多くの関連病院では病院の建て替えが進み,個室中心となり,処方可能な向精神薬の種類も大学病院と変わらなくなり, 精神障害者の地域支援という側面では,かかわるコメディカルも多く,大学病院よりも充実している.このような状況のなか,大学病院には地域の中核病院として特色ある治療が求められている. 徳島大学病院では,現在,難治性や緊急性の高い患者に対して電気けいれん療法や経頭蓋磁気刺激療法などの高度な医療を提供しており,子どものこころ専門医による児童思春期患者の対応を充実させ, 総合病院の強みを生かして,身体疾患を合併する患者や摂食障害患者を積極的に受け入れている.
 重要な潮流のひとつが,少子高齢化である.約20年前の2001(平成13)年の徳島県の人口は約82万人で65歳以上の割合は22.3%であったが, 現在の徳島県の人口は約69万人で65歳以上の割合は35.8%であり,高齢者数が増加の一途をたどっている.それに伴い,近年,徳島大学病院においても老年期の患者受診が増加している. 言うまでもなく,老年期のメンタルヘルスや老年期の精神疾患は,精神科の重要な領域のひとつである.診断については,脳神経内科・脳神経外科・放射線科と協議できる体制がある. 日本老年精神医学会編集の『改訂・老年精神医学講座;総論』1)の第1章において,

 「高齢者,あるいは超高齢者の精神状態は,身体,感覚機能,心理,社会環境などによって強く影響されること,したがって,彼らにみられるこころの病もまた,単に,脳や心理的なものだけに還元するのではなく, 超高齢者の身体・感覚機能状態,社会・環境状態をも考慮しなければならない」

と記載されているように,老年精神医学においては,総合的な知識・視点・治療アプローチが求められる. 今後,徳島大学病院の特色ある治療のひとつに老年医学専門医による老年期患者の対応の充実を加えるべく,本学会の専門医を育成し(現在の県下の本学会専門医は私を含めて8人), 認知症疾患医療センターを含む関連病院との地域連携,および,県や市との連携を密にして,老年期精神疾患の診断,治療,地域での安定した生活まで,シームレスな枠組みを構築したいと考えている.

[文 献]
1)松下正明:高齢社会と老年精神医学.(公益社団法人日本老年精神医学会編)改訂・老年精神医学講座;総論,10,ワールドプランニング,東京(2009).



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2024/6 老年精神医学雑誌Vol.35 No.6
高齢者精神医療における薬物療法
守田嘉男
兵庫医科大学名誉教授

 わずかではあるが高齢者の精神科医療を担っている筆者にとって,「老年精神医学雑誌」第34巻(2023年)第11号と12号の巻頭言には励まされるところが多かった.
 近年の精神医療では,多職種の志を同じくする同僚の努力の成果が現われて弱い立場の高齢の患者が報われることも多くなったとはいえ,精神疾患をもつ患者と家族の苦悩が減っているとは思えない.ここでは老年期の精神障害は多種であり精神神経症状も多くは複雑であることを踏まえたうえで,治療について試みの提言を記すことにする.
 筆者の経験してきた精神科診療の現状を考えると,精神科病床のある総合病院では各科に通院・入院中の患者に生じる急性の精神症状に対する診療の依頼に応じることが重要な仕事になる.ついで本来の精神科で治療中であって合併症の治療のため互いの関係が構築されている病院や,介護施設での医療上のトラブルについてアドバイスすることや,あるいはまた,病床数が多く看護力の高い精神科病院では通常の時間外(早朝・夜間)での患者と家族の受診があり,これは必ずしも精神科救急システムが引き受けるわけではないので多くの精神科病院の役目となっている.
 ところで,筆者は,向精神薬による薬物療法を精神科治療での必須とは考えていないが,しかし,急性発症の精神症状を可能な限り短期間に寛解させて病因を検討したうえで次の医療計画を立てることを目指すとすれば,急性期限定としても一定の治療方式を策定し,実践する試みがあってもよいと思っている.つまり,総合病院の多くの診療科で使っているクリニカルパスの精神科仕様である.具体的には臨床薬理学の基礎に従って高齢患者に向精神薬を投与する場合の経路や速度,同じ薬物で治療的定常状態に達するための時間,逆に体内から消失させるための年齢差などの情報は重要であり,なによりも入院患者と家族にとっても治療の方針を伝えてもらえることは精神科治療に対する不安を減らすために有効である.
 筆者が精神科医になって10年も過ぎたころであったが,アメリカ合衆国の大学医学部臨床薬理センターで2年間(1979~1981年)研修を受ける経験を与えられた.Merck Company Foundationがスポンサーである臨床薬理学の国際的なフェローシップに採用されてトレーニングを受けることができた.同期のフェローは4人で,全員M.D.であったが循環器系,呼吸器系,腎臓系など内科の出身が多く,筆者の精神科神経科はまれだといわれた.研修プログラムは,ヒトでの薬物動態学と薬力学の基礎と臨床応用から薬物療法での治療薬物モニタリングの実践まで,専門医や統計解析のPh.D.らに指導されて演習も必修であった.フェローシップが終り,帰国してからは臨床薬理学講座がまだ少なかったためもあり,講師として特別講座(日本老年精神医学会の生涯教育講座1))や医学書2)などの分担執筆で自分の受けた研修について紹介をする機会があったけれども,「高齢者への薬物療法」と題しながら,急性期の精神障害についての向精神薬治療に関する臨床薬理学の必要性を述べることはなかった.
 ところで,急性期医療での薬物療法に求められているのは的確なデータに基づく技法であるが,精神科臨床とくに高齢患者においては,現在もなお統一見解が十分ではないと思われる.その理由として老年期の患者は生理学的機能が低下して身体疾患の合併が多く,最大の障壁は精神症状の多様性である.さらに向精神薬を選択するために必要なtherapeutic drug monitoring(TDM)についても症状の評価が困難であり,薬物の体内動態との関連を求めるのが容易ではない.そこで筆者が提案したい試みは,向精神薬療法についての技法を再考するための綿密な診察とTDMの方法を身につけることであり,そのための一助として,本誌をはじめ医学誌には「症例報告」の項目があり,そこには高齢患者の精神症状に対する向精神薬治療の具体的実践が詳細に図示され,治療指針が記述されているので教えられることは多い.治療困難例の報告は少数例の場合が多いので疫学的方法を前提とする情報収集はむずかしいが,高齢で急性期の治療対応を目標とする向精神薬療法においては,このような治療技法の集積と共有が精神科臨床に有意義であると考えている.

[文 献]
1)守田嘉男:高齢者の薬物療法.日本老年精神医学会生涯教育講座 第5回,抄録,大阪,平成22年12月19日. 2)武田雅俊(編):現代老年精神医療.永井書店,大阪(2005).



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2024/5 老年精神医学雑誌Vol.35 No.5
かかりつけ医とレカネマブ
遠藤英俊
いのくちファミリークリニック,聖路加国際大学臨床教授

 最近では各地でレカネマブ投与を前提とした“MCI外来開設”をよく耳にする,しかしながら,患者さん,市民の認知度は高くなく,適切に軽度認知障害(MCI)と認識して,進んで受診する人はまだまれであろうから,当面認知症ドックを広める必要があろう.しかしながら,地域のパイロットとして,かかりつけ医の役割は大きく,MCI外来に対してかかりつけ医が紹介することが多くなるであろう.自身,かかりつけ医として認知症診療を行っている.とくに,MCIの診断に重点をおき診療を行っているところであり,現在50代~60代のレカネマブ投与候補者が約30人存在する.本来なら日本老年精神医学会の専門医として自ら投与するつもりであったが,最適使用推進ガイドラインの制限により,レカネマブ投与からは無念にも離脱した.そこで方向を切り替え,現在3か所の施設に検査と投薬を紹介している.すでに数人の対象者に投与が開始されている.半年後には当院でもレカネマブを投与する予定である.今後レカネマブ投与の対象者が適切に治療を受ける環境ができることを期待している.
 ところで,思えば,40年前には認知症を痴呆症といい,当時認知症は検査や治療の対象でなかったが,故長谷川和夫先生の導きで,本学会に参加し,認知症診療を行ってきた.その道は平坦ではなかったが,十分に医師としてやりがいのもてる疾患となってきた.長年国立長寿医療研究センターで,もの忘れ外来を開設し,認知症サポート医の研修体系を構築した.また,これに並行して,厚生労働省の介護保険制度の構築のサポートを行い,NHKなどのマスコミでは認知症は疾患として,受診の偏見をなくし,受診のハードルを下げる努力をして,認知症の理解を進めてきた.そして定年後の2021年3月に診療所の開設に踏み切った.その理由としては,より地域に密着し,地域で活動をしたい思いであった.すなわち地域包括ケアを実践すること,在宅医療を実践し,発病から看取りまでの支援ができる医療を目指したい思いが強かった.たしかにごみ屋敷となった患者や,受診を拒否する患者の家に往診することは,医師として非常にやりがいのある仕事内容である.時に認知症初期集中支援チームと連携したり,運転免許更新のための診断書の記入をしたりして,患者へ貢献できる実感をもつことができる.当初新規開業への不安はあったものの,認知症グループホームの嘱託の依頼など,また,ホームページによる集客などにより,経営は曲りなりにも順調に推移している.そこへ待ちに待ったレカネマブの登場である.長年必要としてきた疾患修飾薬である.ガイドラインには失望したが,医師人生の武器となる新薬である.ドナネマブにも期待するが,まずは可能な限り,新薬を必要な人に届けたい.最近では90歳を超える人の希望者もあるが,さすがにエイジズムではないが,まずは若年患者を優先したいと考えている.そして現在考えていることは,認知症にかかわる地域連携である.すなわち認知症疾患医療センターや認知症専門医,認知症サポート医をはじめ,介護施設や介護支援専門員との連携である.それにはレカネマブ投与可能施設の公開が必要であり,現在全国的に必要な情報である.かかりつけ医が日常診療で,MCI患者を見つけるか,今後認知症ドックを開設,拡大し,65歳や70歳時に認知機能テスト(MOCA-J)や,画像検査(MRI,SPECT)を行うことでスクリーニングを行う.そこで海馬の萎縮や後部帯状回の血流低下があれば,レカネマブ施設にただちに紹介する連携が必要であろう.しかしながら,投与施設が遠方であったり,金銭面で脱落する患者も存在する.また,治療を受けたくても条件に合わない患者も存在する.なのでそうした方には他の治療方法を紹介したりする外来も必要であろう.
 今後そうした連携や支援体制の構築が必要であり,認知症疾患医療センターに期待しているが,問題点が多いセンターもあり,今後はセンターの役割強化と活動条件や役割の見直しが必要であろう.さらにはかかりつけ医の意識改革と機能強化も必要であろう,もの忘れがあればドネペジルを漫然と投与する時代は終焉した.レカネマブの登場によるかかりつけ医の知識と経験のバージョンアップと,地域連携の強化が必要である.認知症のかかりつけ医やサポート医研修の改訂が必要であり,地域の医師会や勉強会の役割は大きい.レカネマブの登場により,認知症診療の革命が起きたといえるであろう,今後はかかりつけ医こそがMCIの外来を行い,連携による認知症診療を構築する必要がある.一人でも多くのかかりつけ医とともに新しい時代を進めていきたい.



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2024/4 老年精神医学雑誌Vol.35 No.4
前頭葉の臨床神経心理学的研究
鹿島晴雄
慶應義塾大学医学部,医療法人静和会 中山病院

 2024年元旦の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます.
 45年程前, 精神神経科とリハビリテーション科の若い先生4人とで,「前頭葉の臨床神経心理学的研究」を始めた.前頭葉を取り上げたのは,前頭葉の謎 (Teuber), 前頭葉のとらえどころのなさ (Milner) 等, 定量的な検討のむずかしさが指摘され,精神科が活躍しやすい領域と考えたこと, また, 統合失調症と前頭葉機能との関連が指摘されていたこと等があった.前頭葉に関する文献を調べたところ, 膨大な数の研究があった.前頭葉機能に関する理論は確立したものはなく, 創造性といった抽象的なものから遅延再認の機能といったものまで,まさに百家争鳴の感があった.また,さまざまな前頭葉機能検査法が作成されていた.市販されているものはほとんどなく, 多くの検査を手作りして実施してみたところ, 実施困難なもの, 検査や評価の妥当性に疑問のあるもの等, 多くの問題があることが明らかとなった.私は, 診察室やベッドサイドでの症状と訴えをローテクな方法で定性的に検討することを最も大事にしてきたが,定量的な検討がむずかしいとされる前頭葉研究ではあるが,見解を異にする多くの研究者間で, 共通な定性的な物差し, 尺度のようなものが必要と思った.前頭葉の機能検査を検討することとしたのである.
 まず考えたのはいたって単純なことであった.検査を刺激ととらえ,前頭葉損傷で成績が特異的に低下するような検査を通して前頭葉機能を考えるということであった.前頭葉損傷で特異的に成績の低下する検査が見つかれば,その検査の構造のなかに前頭葉機能障害にかかわる要因が含まれていると考えた.ここでいう「特異的に成績が低下する」とは,いわゆるTeuberの二重解離の原理に準じることとした.前頭葉損傷で特異的に成績が低下する検査をつくることはそれほどむずかしくはない.たとえば,むずかしい算数の問題はそのような条件を満たした.しかし,検査法としてみると,むずかしい算数の問題にはいろいろな要因が含まれ,構造が複雑であり,前頭葉機能障害のスクリーニングテストとしてはよいかもしれぬが,前頭葉機能障害と関係する要因を同定するには向いていない.前頭葉損傷で特異的に成績が低下する検査で,できる限り単純な構造のものを探すというか,工夫することが研究の目的となった.また,そのような検査ができれば,前頭葉機能障害で検査成績が改善するような追加の指示を考えることで,認知リハビリテーションにつながるとも考えた.しかし,実際にはなかなかよいアイデイアが浮かばなかった.
 当時,私はPavlovをはじめとするロシア学派の脳とこころに関する研究に興味をもち,Pavlovの高次神経活動学説やLuraの神経心理学に惹かれ翻訳もしていた.いわゆるロシア学派の脳機能に関する研究においては,神経活動における抑制過程が重視されていた.とくに高次神経活動学説では,理論の中心にあるのは興奮過程よりも外抑制,内抑制,超限抑制などのさまざまな抑制の考えであり,高次神経活動の障害における抑制過程の障害が重視されていた.高次神経活動学説では,抑制過程は一般に同化的,興奮過程は異化的なものとされ,抑制過程は治療的機能をもっている.しかし,同時に抑制過程そのものが病的過程となることもある.高次神経活動学説では,一般に系統および個体発生的に新しいものほど速く強く障害され,回復も遅いと考えられており(高次神経活動学説における進化原理),興奮過程よりも抑制過程がより脆弱で障害されやすいとされる.Pavlovは,精神疾患における抑制過程の障害をきわめて重視していた.私も脳機能障害により生じる症状を抑制過程の障害としてとらえ,前頭葉機能障害も抑制過程の障害としてアプローチしようと考えた.
 高次神経活動学説によれば,神経機能が正しく機能するには,興奮と抑制という2つの神経過程が高度の平衡性(選択性)と転換性(易動性)を保っていなければならない.しかし,脳が損傷を受けると,抑制過程が損なわれ,神経過程の選択性と易動性の障害が生じる.ジャンケンを例にとると,「チョキ」を出しているとき(「チョキ」の興奮)は,“同時”に「グー」と「パー」が抑制されていなければならない(私は同時的抑制と名づけた).このような興奮と抑制のバランスが神経過程の選択性を保証している.おあいこで,次いで「グー」を出す場合は,まず,「チョキ」の興奮を抑制し(継次的抑制と名づけた),そのあとに「グー」を出さねばならない.このような興奮と抑制の“継次的”な転換により神経過程の易動性が保たれる.高次神経活動学説では,この選択性と易動性が基本的な神経過程であり,脳機能障害も選択性と易動性の障害として理解されている.
 前述したように,高次神経活動学説では,脳損傷においては抑制過程がより脆弱とされ,選択性,易動性の障害も抑制の障害としてとらえられている.選択性の障害では,「チョキ」を出す場合,「グー」と「パー」に対する抑制が障害され,目的とする「チョキ」と同様の蓋然性で“同時”に「グー」と「パー」も賦活されるようになり,その結果「チョキ」を出す代わりに「グー」や「パー」が出現したりして,神経過程の選択制は失われる.症状としては,“取り違える”“選べない”といったかたちで現れる.“やり間違い型”の障害であり,同時的抑制障害といいうるものである.「グー」を出したあと,「チョキ」を出すには,まず「グー」を抑制しなくてはならないが,この「グー」の抑制が障害されるために,「グー」をやめることができず,結果として「グー」が持続してしまう.つまり「グー」の興奮から抑制という転換が障害され,興奮が停滞し,神経過程の易動性が障害される.症状には“やめられない”“繰り返す”というかたちで反映される.“やめられない型”の障害であり,継次的抑制障害といいうる.
 私は,この2つの型の抑制障害から脳機能障害を考えてきた.この2型の抑制障害は本来,脳の損傷部位にかかわりなく,ともに生じるものであるが,脳の前部と後部が果たしている機能の相違により,脳の後部の障害では同時的抑制障害が,脳の前部の障害では継次的抑制障害がより症状に強く反映される.脳の後部は継次的にはいってくる情報を同時的に処理,加工しているのに対し,脳の前部は企図や意図を継次的に行動として実現しているとみなしうるからである.
 このような立場から,私は前頭葉機能とその障害を,継次的抑制と継次的抑制障害,“やめられない型”の障害としてとらえ,検査も作成し検討してきた.たとえば,ウィスコンシンカード分類検査や修正ヴィゴツキー検査は,いったん用いた分類概念を抑制して,いかに別の分類概念に転換できるかをみるものであり,Trail Making Testは数字順とアルファベット順の間での継次的抑制の繰り返しである.前頭葉との関連で創造性がいわれるが,既成のものを離れて新しいものをということは継次的抑制と考えることもできる.頭が固いというのは継次的抑制障害としても説明できよう.
 私は,長年,抑制と抑制障害という観点から前頭葉機能とその障害について検討してきた.ここでは,なぜ,抑制とその障害を重視したかについて述べさせていただいた.
 本稿は,文献1)に準じたものである.

[文 献]
1)鹿島晴雄:高次脳機能障害,特に前頭葉機能障害を抑制障害として捉える.(村井俊哉,村松太郎編)精神医学の基盤[3];精神医学におけるスペクトラムの思想,165-167,学樹書院,東京(2016).



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2024/3 老年精神医学雑誌Vol.35 No.3
認知症診療における精神科医の役割
田口真源
大垣病院

 私は,1982年に医師国家試験に合格し,金沢医科大学医学部神経精神医学教室に入局した.教室は,鳥居方策教授のもと生物学的研究を行っており,とくに神経心理学は,鳥居教授,榎戸秀昭助教授(准教授)が専門としており,教室研究の中心であった.そのころ認知症は痴呆と呼ばれ,精神医学の分野でも脳神経内科の分野でもまだまだ主要な領域とは考えられていなかった.試しに学生~研修医時代に自分が勉強した成書をみると,精神科も脳神経内科も2~3頁程度で,病理学教室に入局した友人に聞いても病理学分野でもマニアックな領域と目されていたようである.そういったなかで,鳥居先生は「痴呆(当時)の初発症状は神経心理学的症状である」と喝破され,研究班こそ組織しなかったが,失語症や相貌失認などの知見をもとに報告を積み重ねたり,増えつつあった高齢者の病院や特別養護老人ホーム(当時介護保険も介護老人保健施設もない),能登地域で始められていた地域保健所等で実施している在宅痴呆相談などに教室員を派遣していた.私は睡眠研究をしていた関係もあり,保健所の訪問に同行したり,老人ホームや老人病院におけるせん妄や精神症状の治療に関与した.また,鳥居先生の大学の後輩にあたる関係で小阪憲司先生をたびたび教室にお招きして,レビー小体型認知症(DLB)のお話を伺うことができた.

 そういうわけで若手医師のころから40年以上認知症診療に携わってきたが,なにかよそ行きというか,アウェイで仕事をしているような居心地の悪さを感じてきた.認知症は,アルツハイマー型認知症が最も多く,記憶障害が重要な要素であることはまちがいないが,症候の組立てが「記憶障害ありき」であること,とくに「中核症状」と「周辺症状」という2分類には当初から非常に違和感を感じていた.まるで神経学的症候が上位にあり,精神医学的症候が下位に位置づけられているような印象があり,いまだに違和感がある.神経精神科医である私は,中核症状を高次脳機能障害,認知機能障害(記憶障害,見当識障害,実行機能障害,失語・失行・失認等)と読み替え,周辺症状を精神症状(幻覚,妄想,抑うつ),精神生理学的症状,(昼夜逆転,せん妄),行動障害(徘徊,介護への抵抗,不潔行為,焦燥,多動興奮,性的問題行動,異食行動),生活障害と整理している.私見ではあるが,こういう整理のほうがおのおのの治療や対処の仕方も立てやすいし,精神科医である私にはすっきりしているように思う.また,周辺症状という用語は正確に該当する英文はないと認識しており,最近ではBPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)という用語に「読み替えられる」ことが多いが,周辺症状と中身は同じである.認知症における精神科医の役割は大きいと思うのだが,精神科医として学んできた症候学と別の体系にあるように思われる.かつては「認知症をどの領域でみるか? 精神科か? 神経内科か? 老年病科か?」というような綱引きがあったように感じていたが,そのなかで精神科の役割が限定されているような印象をもっていた.こういったことはわが国だけではない.たとえば,Lancet Commissionは2017年と2020年に認知症の危険因子を公表しており,「認知症予防」の分野でバイブルのような位置づけになっているが,どうも糖尿病の関与は低く見積もられていないか? 聴覚障害があるが,嗅覚障害はどうなのか? 教育歴については発達障害や若年の精神疾患との関係は? とくにうつはもう少し比重が大きいのでは? 睡眠障害がふれられていない.などの疑問があり,2020年版をざっとみてみたが,編集者のフィールドに少し偏りがあるように思えた.「天下のLancet」が恣意的なふるまいをしたとは思わないが,結果として知らず知らずのうちに綱引きのようなこともあるのではないかと感じた.かくいう私も「自分のフィールドの扱いが小さい」といっているわけで,注意しなければならないと思っている.蛇足であるが,最近よくいわれる「介護予防」という言葉には違和感がある.「認知症予防」や「感染症予防」など,予防するものを語頭にもってくるのが,一般的なように思う.介護をしないということか? 正確には「予防的介護」であろう.こういうものは標語であるから熟語のほうがいいのか? だれが言い出したかわからないが,おかしいと感じ,いまだに違和感は続いている.

 長年認知症診療に携わって思うことは,認知機能障害発症前から発症,終末期,身体合併症対策,その間の地域連携,多職種連携などに長いスパンでかかわっているのは精神科医であり,認知症の症候も精神科の伝統的な症候で全般的にとらえることも可能であり,精神科医の役割は大きいということである.

 最後になるが,かつての私のフィールドであり,認知症の研鑽の機会を与えてくれた,能登地域の1日でも早い復興を祈って稿を終えたい.



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2024/2 老年精神医学雑誌Vol.35 No.2
令和6年能登半島地震に思いをはせて
深津 亮
公益財団法人西熊谷病院埼玉県認知症疾患医療センター

 令和6年という新年を迎え,平穏と多幸を願っていた元旦の昼下がり ―― 能登半島地震が起きた.主観的な観想を礎に概要をたどり,若干の私見を述べる.

1.「令和6年能登半島地震」について

 気象庁によると,2024年1月1日午後4時10分ごろ,石川県輪島市の東北東30 km付近で,深さは16 kmを震源とするマグニチュード(M)7.6,最大震度7の地震が発生し,北海道から九州にかけて広い範囲で揺れを観測した.

 地震調では,「活型地震で断層は150 km程度」とし,北西-南東方向への逆断層型とした.実際,輪島市西部で最大4 mの地表隆起と最大1 mの西向きの地殻変動がみられた.

 石川県によると,震災被害のうち人的被害については,同月21日午後2時の時点で死亡者232人,重軽傷者1,170人,安否不明者は22人となっている.物的被害,環境的被害に比べて人的被害が少ないのが特徴といえる.

 各メディアは大規模,かつ多様な地震の爪痕を伝えたが,ここではとくに激烈であった以下の点に言及する.

 (1)大規模火災;地震後に石川,新潟,富山の3県で17件の火災が発生し,「津波火災」などの特有な事例も伝えられているが,ここではとくに激烈だった輪島市の大規模火災を記述する.1月1日の午後6時ごろ,輪島市の中心部,観光名所としても知られる「朝市通り」周辺で発生した火災は,延焼を続け,焼失面積は5万800m2に上り,焼失した店舗や住宅など建物は300棟とみられている.

 (2)建物倒壊;輪島市河井町で起きた,7階建ビル倒壊について東京大学地震研究所の楠浩一教授は,調査を行い「周辺には液状化現象」が確認され,それと倒壊に至ったメカニズムの可能性を指摘した.

 (3)地殻変動;海底の隆起と海岸線の陸域の海側への拡大,輪島市から珠洲市にかけて海底の隆起によって2.4 km2の陸域が増加した.

 (4) 海岸隆起;輪島市の北西部で海岸線が隆記して水位が低下.水深が浅くなったため船舶の通行に支障をきたした.

 日本列島は,2100万年前から1100万年前にかけて,ユーラシア大陸の東端に地殻変動で大陸に低地から巨大な窪地が形成され,断裂部分から海が侵入して,日本海の原基ができたが,その後も拡大を続け1500万年前にほぼ現在に近い地形となった.

 このように,日本列島が北米プレートとユーラシアプレートに存在し,太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込んでいるという地殻構造は,特殊な環境にあることは諸家の見解の一致するとおりで,プレートテクトニクスで説明されている.

 さらにいえば,火山が列状に分布する場合に火山帯と呼ばれるが,そこでは火山活動も活発にみられる.

 地球全体では,環太平洋火山帯,地中海火山帯,インドネシア火山帯,大西洋火山群,ハワイ諸島火山群,東部アフリカ火山帯が主要なものである.いずれも地殻変動が最も盛んな地帯であり,地震帯ともほぼ一致する.

 日本では,国内の火山を地理的分布に基づいて7つの火山帯(千島,那須,鳥海,富士,乗鞍,大山〈白山〉,霧島〈琉球〉)に区分していたが,近年ではプレートテクトニクスに基づく日本列島の大地形の説明に関連して,東日本火山帯と西日本火山帯に2分される.

 世界の陸地面積に対する日本のそれは,わずか0.25%であるのに日本および周辺海域では世界の地震の18%以上が発生している.活火山の数は7%に達している.このことは以上の諸要因を勘案すると,わが国が地震列島,火山列島であると理解できる.

 町田洋は『自然の猛威』のなかで災害との関係について,①防げる災害;台風等,②逃げれば助かる災害;津波等,③諦めるしかない災害;地震等,3つのタイプに分けている.たしかに地球物理学的環境を選択したり変更したりすることはできないが,とはいえ,災害の襲来に手をこまぬいてみていることは許されるわけもなく,叡智を結集して有効な対策を講じることは絶対不可欠と思われる.

 物理学,地球物理学の権威であり,地震学に精通する稀代の碩学,寺田寅彦は『天災と国防』のなかで,「思うに日本のような特殊な天然の敵を四海に控えた国では,陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け,非常時に備えるのが当然ではないかと思われる」と述べている.発生原因を除去ないし予防ができないのであれば,発生後の激甚なる災禍に対応する組織を常備するという戦略はきわめて合理的で現実的といえる.

 激甚な災禍に頻繁に脅かされるわが国にあって,少子高齢化,過疎化など,社会の変動も急速に進んでいることを能登半島地震は赤裸々に顕現した.防災思想は国民的な合意(コンセンサス)のもとに推進する必要がある.

 イギリスの心理学者ジョン・リーチは,災害などの緊急事態に遭った人の行動を分析して3つに分類している.すなわち,①落ち着いて行動できる人=10~15%,②取り乱す人=15%,③ショック状態に陥り無反応となる人=70~75%,であると.

 不測の事態に遭遇すると,大多数の人は困惑・茫然自失して精神的にある種の麻痺状態に陥る.近年,「凍りつき症候群」と呼ばれているが,緊急事態に際して思考停止,判断停止,行動停止に陥ることは古より知られている.

 災害精神医学は学際的であり,喪失,死別,悲嘆などの領域を含めて社会心理学と共通する広い分野において,再検討,再構築することは喫緊の課題といえる.



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2024/1 老年精神医学雑誌Vol.35 No.1
若年性認知症の事業場における両立支援
小山善子
独立行政法人労働者健康安全機構石川産業保健総合支援センター

 2024年元旦の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするともに,被災された方々に心からお見舞い申し上げます.被害に苦しんでおられる方々が一刻も一日でも早く立ち直ることができるように願っております.

 2023年9月18日の敬老の日にちなみ,総務省が公表した人口統計によると,65歳以上の高齢者は3623万人(65歳以上の56.6%は女性で男性1572万人,女性2051万人)で,総人口の29.1%を占め,過去最高を更新して世界トップとなった.うち80歳以上は1259万人で初めて10%を超えた.2022年には高齢者の25.2%の912万人が就労していて,年齢層別の就労率は65~69歳は50.8%,70~74歳が33.5%でいずれも過去最高であった.

 就労者全体に占める高齢者の割合13.6%が経済活動を支えていた.ますます超高齢社会に向かっていて,65歳以上の働く人々が増加しており,高齢者が安全で快適に働き続けられる職場づくりが進められている.職場ではエイジフレンドリーガイドラインに基づき,高年齢労働者の就労状況を踏まえた職場づくりの取組みが進められている.

 厚生労働省は,2016年2月に疾患をもちながらも働く意欲・能力のある労働者が適切な治療を受けながら就労を継続する支援として「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」(2019年3月「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」に改称)を公表し,「働き方改革実行計画」に盛り込まれ,その推進が図られている.2018年にがんがその対象疾患として,2020年,2022年の改定でがんに加えて脳卒中,肝炎,難病,心疾患および糖尿病,そして若年性認知症が療養・就労両立支援指導料が診療報酬改定で算定され,両立支援の取組みの普及が進められているところである.「働き方改革実行計画」において,「若年性認知症の特性に応じた就労支援・社会参加などの推進」が掲げられている.また,2023年6月には共生社会の実現を推進するための認知症基本法が成立している.

 さて,若年性認知症は,現役世代の働き盛りの発症のため本人や家族にとって経済的損失や心理的衝撃は非常に大きい.また,職場にとっても大事な戦力を失うことにる.

 認知症のなかには薬物治療や周囲のかかわり・社会参加により進行を遅らせることも知られている.しかし,認知症と診断されるや,余儀なく退職になることがほとんどである.しかし,職場で早期発見・早期治療により,労働者の残された能力や経験を適切に評価・活用することで就労期間を延長させることができる.退職になる前に労働者本人の申し出から,医療機関(主治医)と事業場(産業医・産業保健スタッフ)との間で情報を共有調整するのが両立支援コーディネーターの役割で,就労継続のためのトライアングル型サポート体制が両立支援である.事業場では復職プログラムを作成し,円滑に仕事が継続し続けられる支援が求められる.しかし,石川県内の現状の事業場をみても若年性認知症の理解,受け入れ・支援体制は十分とはいえない.各都道府県に設置されている産業保健総合支援センター(以下,産保センター)でも,若年性認知症の相談や両立支援は緒に就いたばかりと思われる.職場で関与する産業医,産業保健スタッフ等の多くは認知症の専門家ではない.

 本年9月に待望のアルツハイマー病(AD)に対する疾患修飾薬(DMT)がわが国でも承認された.本薬の効果はADによる軽度認知障害および軽度の認知症の進行抑制で,社会生活の維持を目指す薬ともいえる.投与にあたっては厳しい使用適正が定められているが,早期の軽度のADなら若年性認知症の一部の人が対象者になる.職場でいかに早期に,認知症の前段階で気づき,専門医につなげるか,職場の健康安全管理としての産業医,産業保健スタッフ等の重大な役割となる.また,復職支援を進める際,主治医との連携のもとで産業医の関与が強く求められる.就労継続支援を成功するには上司・同僚の理解は不可欠である.職場でのDMT投与の認知症者の受け入れ整備はこれからの課題である.職場を支援する役割を担う産保センターとして,まずは職場での認知症の周知・理解を深めるための研修会,産業医の強化,相談事業の強化,認知症疾患医療センターに両立支援相談窓口設置が喫緊の課題となってくる.

 就労支援には多職種の応援が必要となる.就労中はもちろんであるが,就労中から就労が困難になった際には,本人の状況に応じて社会的制度などの利用が必要になり,本人・家族に将来の経済的・生活支援,社会福祉制度などへの活用が検討すべき課題となってくる.多職種連携チーム,チーム医療による協働はますます必要となるであろう,他関連機関と連携,関連機関として就労観点からも職場支援の産保センターも参画し,包括的なネットワーク支援体制の構築がなされねばならない.

 早期に診断され,治療と仕事の両立支援を活用し,DMT投与を受けながら職場で仕事を続ける若年性ADの人も,だれもが少しでも生き生きとした職場生活を最後まで全うできることを願う.

 本稿執筆の1か月後に愛すべき地元にこのような大災害が起ころうとは予想だにしておりませんでした.被災した能登は高齢者地域,ぜひ日本老年精神医学会ならびに学会員の皆様方の温かいご支援を今後とも伏してお願いいたします.



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