妻の両親はもう亡くなってしまったが,実家のあった長野県佐久市では,観光バスに乗ってぴんころ地蔵参りに来る観光客がたくさんいると聞いたことがある.ずいぶん前のことだ.特段興味もないのでふーんといった体で話は終わったが,ピンピンコロリという言葉はそのとき初めて聞いたわけではなかったと思う.ぴんころ地蔵は佐久の成田山薬師寺に2003 年に建立された地蔵尊というので思いのほか新しいものだ.とすれば地蔵ができてまもないころに「観光客がたくさん」という話を聞いたにちがいない.他の地域にもぴんころ地蔵は増殖しているらしいのだが,成田山薬師寺がぴんころ教の総本山というわけでないにしても,佐久市は2007 年から「ぴんころ運動推進事業」なる活動を行っている一大拠点ではあるようだ.遡ると,1980 年,長野県下伊那郡高森町で,北沢豊治という人が健康長寿体操を考案,日本体育学会に「ピンピンコロリ(PPK)運動」と命名して発表したのが始まりらしい.妻の両親は寝たきりにはならずに逝ったが,長期寝たきりとなるのを,対して,ネンネンコロリというらしい.なんともブラックだ.
ピンコロ運動の人たちはとりあえず身体的な衰えのことを考えているようで,最近の言い方に倣うなら,フレイルにならないようにということではある.「ピンピン」に関して精神面は不問と見受けられるとはいえ,言外に「認知症にならず」ということも含まれているのではないか.認知症になったら徐々にピンピンしてはいられなくなるだろうから.
認知症の里程標のひとつは,1999 年,ドネペジルの発売である.認知症の進行抑制の効能が記された初めての薬だ.それまで脳代謝賦活薬・脳循環改善薬と標記された薬物はあったが,再審査で効果なしと判定され,その前年に発売中止となっていた.厚生省(当時)の見え透いた施策であるが,ここにおいて初めて認知症が本格的に医療の対象となったともいえる.そして,次の里程標は2004 年,厚生労働省の肝煎りで,痴呆症の名称が認知症に改められたことである.これは「痴呆」という言葉に含まれる否定的な響きや,差別的な意味合いをなくし,早期発見・早期診断の取組みを促進するためと説明されたが,必ずしも思惑通りにはいかなかったかもしれない.この間の事情をいろいろ調べていくと「痴呆が病気になってしまった」という否定的な意見も少なからずみられる.認知症への呼称変更は「医療化」を促進し,「病気」としての扱いが進み,医療の介入が強まったが,診断したところで抜本的な治療がなく,もの忘れなどが容易に「認知症」の範疇で語られたり,社会的スティグマをかえって強めている側面がある,といった意見である.ぴんころ地蔵は同じころにはびこり始めた.
認知症の医療化とは,精神面での「ピンピン」を医学的な方法によって保つということであるが,事実,医療は診断するばかりで,治療についてはごくわずかのことしかできない.抗アミロイド抗体薬もいまだ一般の方々のご期待に適うほどのものではない.「ピンピン」を保てないなら,「コロリ」である.つまりピンコロとは「耄碌せず,突然死しなさい」ということになってしまうのだが,こう書くとかなり過激だ.「突然死しなさい」と言われても自然にそうなるわけはないので,「自ら命を絶て」と言っているに等しいからだ.
いや,冗談ではない.いわゆる安楽死を認めている国では,自ら死を求める要件を,不治の身体疾患の次に,精神疾患にまで拡張する向きがあり,そのなかで認知症は安楽死を求めて当然の不治の疾患とされているという.その場合,自己決定能力が損なわれる前に意思表示をすることになるのだが,少なくとも日本ではそのような自己決定には,「周囲の人に迷惑をかけたくない」という配慮が影響するはずで,自由な決定とは言い難い事態が生じうる.映画『PLAN 75』,あるいはもっと古く『楢山節考』を思い起こせばよい.他方,医療技術が格段の進歩を遂げて,長期に「ピンピン」を維持できるような未来が到来したら,「コロリ」はどうするのか.映画『TIME/ タイム』では,余命が通貨となって,それを富裕層が独占するというディストピアを描いていた.
社会学者の上野千鶴子が近著『アンチ・アンチエイジングの思想;ボーヴォワール『老い』を読む』で指摘しているのが,ピンピンに拘泥すること,つまりアンチエイジングの思想はわれわれを幸福にしないかもしれないということである.そのことを首肯しつつも,では精神医療はどのような立ち位置をとればいいのかと考えると,五里霧中,迷子になってしまったような気持ちにしかならない.
臨床という言葉の由来・本質についてしっかり考えることは精神科医療に携わる関係者に重要なことであると思われる.臨床という言葉は,ギリシア語のクリニコス(klinikos)に由来するが,ベッド・病床という意味で,当初は瀕死の重症患者が病床で洗礼を受けて罪を許される臨床洗礼,クリニック・バプティズムと(clinic baptism)して使われ,しだいにベッドに就いたままの患者をじかに診察・治療すること,さらに医師が患者を診ながら教育する作業を臨床というようになった.これが,一般医学における臨床で,ベッドに横になっている患者を診察する,教育指導することが臨床であった.ところが精神医学の領域では事情はまったく異なり,患者はもともとベッドなどには縁がなく元気に歩き回っているのが常であり,そのような人々を無理矢理病院に連れ込んで柱やベッドに拘束隔離をして,いろいろ聞いたり調べたり観察する作業がなされた.わが国でも似たような状況であったにちがいない.このように就床してない人々を不自然・強制的にベッドに縛り付けたのであるから,精神科の臨床は非人道的取り扱いが始まりであったが,フランスで18 世紀フランス革命の最中にフィリップ・ピネルがビセートル病院で30 年にわたり鎖につながれていた患者を,そしてほかの患者も鎖からの解放をなし,次いで移ったサルペトリエール病院でもそれをなして,監禁・拘束・束縛などの苛酷な状況から開放した.ピネルのこの行為は伝説化しているが,これが意味するところは大きく,またその影響も大きく,ここに初めて精神障碍者の取り扱いが人間的・人道的なものになったのである.精神医学の黎明期は19 世紀だが,精神障碍者の取り扱いの夜明けはその1 世紀前で,学問としても進歩が起こる前に処遇上の進歩があったといえる.
精神医学における真の意味での臨床は,まず患者が自由に振る舞うことが許される,拘束されたり束縛されず,したいこと言いたいことを自由に表現できることが必要である.また,精神医学にかかわるものは症状の本質をとらえることが求められる.外から見るだけでなく,言葉,行い,表情などを通じて本質をつかむ,問いかけと同時に,患者からの話に耳を傾け,悩みや苦しみに共感しつつその本質をとらえるように心がける.検査やテストもして人間の理解を深め見落としのないように心がける.次いで患者を病院だけでなく生活の場面で診ることが真の臨床では肝要であろう.
私は,現在は民間病院に勤めているが,大学病院時代に経験した症例は医療安全の観点から考えさせられた.老年期ユニットに入院していた認知症の患者さんで,転倒して大腿骨骨頭を骨折し手術が必要になった.その際に,患者の家族からなぜ自由に歩かせていたのか,拘束しなかったのかと責められたのである.患者に自由に振る舞ってもらうのが大切だと考えていたのだが,その家族は認知症病棟をもつ精神科病院の看護師の方であった.治療者としては何よりも患者の自由を尊重し,また廃用性の機能低下を防ぐことを優先したいのだが,怪我をさせて手術が必要になることは,自宅であればそのような事象が生じても責任は問われないが,入院していれば責められるのである.どのようにして患者の自由を尊重するかは,診療上は人道的善意だけでは十分でなく,われわれが患者の行動に責任をもてるかという医療安全上の検討が必要である.
つまり,どのような状況や時間帯であれば患者さんの安全を保障担保できるかを検討し,なるべく隔離や身体的拘束を避けることが第一である.やむなくそれらを必要とする場合は,医師などの単独の判断でなく,検討は客観性を保つためにも多職種である必要がある.どのような検討が必要であるかであるが,1 つは倫理的確認事項ともう1 つは隔離・身体的拘束に関する要因が大切であろうと考えられる.倫理的確認事項は,①身体拘束をすること,しないことのメリット・デメリットは何か,②本当に身体拘束以外の対応方法がないのか,③治療ゴールはどこか,④どうなったら隔離や身体的拘束が解除できるのか,⑤家族の理解は得られているか.また隔離・身体的拘束に関する要因については,①施設特性・方針,②人員配置,③スタッフの理解度や経験値,④当事者の身体的状況,⑤他の患者の状態,⑥家族の意向,⑦家族の経済状況などがあろうと考えられる.
身体的拘束を契機に,深部静脈血栓から肺梗塞を発症し,訴訟につながる事例が多い.また逆に,身体的拘束をしなかったために治療が遅れて不幸な転帰に至った事例や自殺事例で隔離をしなかったことの責任を問われている事件もあると聞く.精神科医療の原点を問われている問題でもある.心して日常臨床に努めたい.